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2024-03

フィッシャー症候群・入院生活① - 2018.01.31 Wed

2017年7月11日から8月1日までの3週間、ミラーフィッシャー症候群のため、
総合病院の神経内科に入院しました。
入院初日については「救急外来受診」の記事に書いたため、
その後の入院生活について、1週間ごとに3つの記事に分けて、
検査や症状、治療について書いていこうと思います。

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7月12日~17日。

7月12日と13日の2日間、造影MRIと神経伝導速度の検査を行いました。
MRIは通常の検査に加え、静脈から造影剤を入れて撮影するもので、
12日に頭部、13日に頸椎と胸椎の検査をしました。
耳栓をしていてもガンガンという金属音が響き、元気なときでも不快なMRIですが、
造影MRIは時間も長く、不調な体にはさらに過酷な検査となりました。
「どうしても我慢できなくなったら握って」と渡されたブザー、
初日は耐えられたものの、2日目はどうしようもなく気分が悪くなり、使いました。
が、その頃の私は握力も落ち、握る感触も分からなくなっていたため、
ブザーが押せていたのかどうかは、謎です(なかなか終わらなかったし)。

神経伝導速度の検査は、手足の数ヶ所を電気で刺激して神経の伝わり方を調べるもの。
徐々に電気の強さが強くなったり、同じ場所を何度も何度も何度も刺激されます。
静電気の思いきり強いバージョン・・・かな。痛いです。
ちょっと記憶が曖昧だけど、この検査も12日、13日の2日間行ったと思います。

体調は、入院2日目には前日よりも格段に悪化していました。
体を起こすと吐き気が強く、吐いてばかり。当然食事もとれません。
物が二重に見える複視も強く、人の顔を判断することも難しい状態。
光が眩しく感じられ、部屋の電気は暗く、カーテンは閉めてもらっていました。
手の痺れは上肢や体、足まで広がり、物を触る感覚が分からなくなりました。
ふらふらする失調もひどくなり、自分の思い通りに体を動かせなくなるとともに、
力も入らなくなり、歩くことはもちろん、自力で体を起こすこともできなくなりました。
12日の朝はなんとか扱えていたスマホが夕方には難しくなり、
翌日からは指がうまく動かず、ロック画面すら開けなくなっていました。

頭部の造影MRI検査で多発性硬化症の所見がなかったこと、症状が急速に進んだことから、
フィッシャー症候群の疑いが強く、12日の夕方から治療が始まりました。
治療法は、免疫グロブリン大量療法。
1瓶100mlの製剤を4本×5日間(7月12日~16日)、何時間もかけて点滴で入れていきました。
14年前に発症したときにも同じ治療をしていたので、グロブリンは既に経験済み。
前回、副作用で吐き気がひどかったため、今回は頻繁にトイレに行かなくて済むよう、
あらかじめ導尿カテーテルをお願いしました。
いざグロブリンの投与が始まると、やっぱり吐き気や頭痛に襲われて、
点滴速度を遅くしてもらったり、頭痛薬や吐き気止めを処方してもらいました。

正確な日は覚えていないけど、入院して少しして、喉にも異変が起きました。
飲み込みがうまくできなくなり、むせたり鼻に逆流するようになりました。
痰も自力で出せず、何度か吸引してもらいましたが、あれは本当に辛かった。。
誤嚥防止のため、ベッドの角度は30度以上を保つように先生から指示が出ました。
飲み込みに続き、構音障害でうまく言葉が話せなくなりました。
空気が鼻から抜けてしまったり、のどちんこの動きが悪い(?)ため、
発音がうまくできず、話をしても聞き取ってもらうのが難しくなりました。

飲み込みがうまくできなくなったことにより、いよいよ食事も難しくなったので、
腕から心臓の近くの静脈に「中心静脈カテーテル」が挿入されました。
先生が処置をした後、レントゲンで位置をチェックして完了。
これにより高カロリーの輸液を行えるようになり、食事=点滴の生活になりました。
中心静脈カテーテルが入っている2週間弱の間、毎日数回、血糖値のチェックがありました。

入院の翌日くらいから、リハビリの先生方が毎日体のチェックに訪れました。
最初は理学療法士、作業療法士だけでしたが、飲み込みがうまくできなくなって、
言語療法士の先生も来てくれるようになりました。
リハビリについては、入院中と退院後の2つの記事にまとめようと思っています。

フィッシャー症候群で入院した最初の一週間は、私にとって最も辛い時期でした。
体には点滴、中心静脈カテーテル、導尿カテーテル、心電図、指先の酸素測定器をつけ、
一人では何もできず、薄暗い部屋でひたすら寝ている日々。
日中寝ているのでだんだん夜に眠れなくなり、テレビをつけるようになったものの、
複視がひどくて画面は見れなかったし、指先の感覚が分からず、体も起こせないので、
リモコンを見失うことも何度もありました(たいていは手の届くところにありましたが)。
目やにが出ることも多かったので、先生がヒアレインの目薬を処方してくださいましたが、
それももちろん自分ではさせず、全てにおいて人の助けが必要でした。

入院7日目に、やたら広くて高額な個室からナースステーション近くの個室に移りました。
前日にグロブリンの投与も終わったので、ようやく体を起こせるようになるかも・・・と思い、
部屋にポータブルトイレを置いてもらいました(結局一度も使いませんでしたが)。
その日から退院まで、この個室が私の生活の場になりました。

リキは動物病院に、1歳半の息子は実家に預け、夫は遠方で単身赴任。
家族がバラバラになってしまい、一日も早く元気になることだけを願う日々でした。


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フィッシャー症候群・救急外来受診 - 2017.11.28 Tue

2017年7月11日。

朝起きると、目に映るものが全て二つに見えていました。
手の痺れも続いていたし、膝がガクッと折れるような脱力感も。
14年前と同じ感覚・・・。
前日からもしかして・・・という大きな不安はありましたが、
この日の朝、物が二つに見えた時点でとてもまずい状況だと確信しました。
2階で息子と寝ていたので、母にすぐに来てもらえるように電話をし、
息子を抱いて慎重に慎重に階段を下りました。

母が到着するとリキの散歩に行ってもらい、その間にリキを預ける手配をしました。
たぶん入院することになるだろうから、そうなると実家では息子の世話で手一杯。
リキは週2で点滴も必要なので、再び動物病院にお願いすることになりました。
母がタクシーでリキを連れて行くと、リキは道中絶叫していたそうです。
家に帰って3日後に、病院再び。。
このときのトラウマで、リキはその後、すっかり車がダメになってしまいました。

母が動物病院に行っている間、今度は息子の朝食準備と自分の入院準備をしました。
その間にも体はどんどん重くなり、動くのがしんどくなっていきました。
母の帰宅後、家のどこに何があるのかを伝え、息子の朝食をお願いして、
神経内科のある総合病院にタクシーで向かいました。
息子はおばあちゃんと留守番するのは慣れているので、食事に夢中でしたが、
まさか1ヶ月半以上ママに会えなくなるとは夢にも思っていなかったことでしょう。
リキも息子も、本当にごめんね(´;ω;`)

病院に向かうタクシー内でも、私の体調はどんどん悪化していきました。
物が二重に見えるため目を開けるのが辛く、目を閉じてぐったりしていると、
「救急車の方が良かったんじゃないですか!?」と、運転手さんがとても心配してくれて、
病院に着くとすぐに受付の方を呼んで、車椅子の準備をしてくれました。
受付の方は最初、手の痺れを過呼吸からきたものと思ったようでしたが、
物が二重に見えること、過去にギランバレー症候群(実際はフィッシャー症候群)に
罹患したことがあり、今回も当時と症状がよく似ていることを話すと、
すぐに救急外来に連れて行ってくれました。

救急外来では個室のような他と区切れるスペースのベッドに通されました。
検査着に着替え、ズラリと先生方(?)に囲まれて、2週間前から風邪を引いていたこと、
過去の病歴と今回の症状が良く似ていることなどを説明。
血液検査、頭のCT、腰椎穿刺検査(脳脊髄液検査)、レントゲン撮影を行いました。
髄液検査は14年前にも経験済みですが、局所麻酔をして腰から髄液を採るもの。
痛かったかどうかはもう既に覚えていないけど、なんともいえない嫌な感覚と不安で、
早く終わってくれーという気持ちだったと思います。

午後、救急外来に神経内科の先生が来てくれました。
細かい問診に続き、自分の鼻と先生の指を交互にタッチする動作、目の動きの確認、
温度の感じ方、手足や鎖骨のあたりでの振動を感じる秒数の確認などのテストをして、
「多発性硬化症」か「フィッシャー症候群」の可能性が考えられると言われました。
診断が確定してから治療に移りたいとのことで、とりあえず1~2週間の検査入院予定に。
夕方、神経内科の病棟に移りました。

この日はちょうど兄の仕事が休みだったので、入院手続きや必要書類の記入などは
兄がやってくれました。
病室(個室)に移ってからも私はある程度携帯電話の操作などできていたようですが、
体の自由は着実にきかなくなっていきました。
夕食は普通食が出たものの、ベッドを起こして座るのが精いっぱい。
手の痺れとふらつきで食事をうまく取ることも食べることもできませんでした。
さらに、尿検査のためトイレに行こうと思っても既に歩くことはできなくなっていたので、
車椅子でトイレと洗面所へ連れて行ってもらいましたが、強烈な吐き気に襲われ、
そのまま洗面所で嘔吐しました。

こうして、私の入院生活は始まりました。
3週間の病院での生活。
そこでの症状、検査、経過などは、また別の記事に続きます。


フィッシャー症候群・発症まで - 2017.11.17 Fri

6月末に、息子ともども風邪を引きました。
4月から夫が単身赴任となり、息子とリキと私の「2人+1匹生活」に慣れてきて、
立て込んでいた予定が一段落したときのことでした。
明日からちょっとのんびりしようかな・・・と思った矢先、親子で風邪を引きました。
そしてこの風邪が、フィッシャー症候群のきっかけとなりました。


6月27日~7月1日(発症13日前~9日前)。

6月27日の朝から息子が38度台の発熱と咳・鼻水のため、小児科を受診。
私も風邪症状があったため一緒に受診し、咳・喉・鼻の薬と去痰薬を処方してもらいました。
その後、息子の熱は40度まで上昇。
2日後の29日に再受診し、抗生物質を処方してもらいました。
解熱剤も使いながら安静にしていましたが、一時的に下がってもまた40度。。
さらに2日後の7月1日にまた受診し、血液検査をして、追加の薬をいただきました。
私も一向に治る気配がなかったので、同日、抗生物質と解熱鎮痛剤を処方してもらいました。


7月1日夜~7月2日(発症9日前~8日前)。

日中下がっていた息子の熱が、夜になってまた40度超え。
翌日が休みだったこともあり、小児救急ダイヤル(#8000)に電話で相談し、
救急受診の目安と小児科の先生のいる救急外来を教えていただきました。

その後、息子の咳はどんどん悪化し、夜中に目覚めてからは水分も取れなくなったので、
明け方、総合病院の救急外来を受診。
抗生物質が効いていないこととレントゲンの結果、マイコプラズマ肺炎の疑いでした。
症状としては帰宅しても良いレベルでしたが、私自身の不調と家庭事情から、
息子は入院して治療することとなりました。

入院手続きの後、一旦帰宅して息子の入院準備とリキの散歩をして、再度病院へ。
息子に付き添っていましたが、お昼過ぎに強烈な寒気と関節痛に襲われました。
熱がある状態では付き添いはできないため(本当は風邪もダメなのでしょうけど・・・)、
看護師さんに息子のことをお願いして、帰宅。
少し眠って体温を計ると、人生初の40度でした。

夕方、母の付き添いの元、タクシーでリキを動物病院に預け、その足で息子のいる病院へ。
朝、息子を連れて行った救急外来を私自身も受診しました。
インフルエンザ、マイコプラズマ、溶連菌などいろいろな検査をしてもらいましたが、
どれも陰性で、結局は「上気道炎」=風邪。
風邪で40度の熱が出るんだ・・・というのは衝撃でした。

22時過ぎ、点滴で少し体が楽になったため、薬(解熱鎮痛剤と喉の薬?)をもらい、
息子の病棟に寄って、寝かしつけてから帰宅しました。
解熱鎮痛剤を飲んで寝ましたが、夜中に何度も汗をかいていたので、
また熱が出ていたようです。


7月3日~7月9日(発症7日前~前日)。

7月3日の朝、熱が下がっていたので、10時過ぎから息子の入院する病院へ。
15時過ぎに母と交代して一旦帰宅し、また夕方から寝かしつけまで付き添いました。
大部屋で他の子供たちは家族が一緒に泊まりこんでいたのだけど、
私は咳もひどく、体調も最悪だったので、後ろ髪を引かれながら帰宅。。
翌4日は朝から晩まで病院で過ごし、5日の午前中に息子は退院することができました。
3泊4日の入院でしたが、1歳半の子が本当によく頑張りました(;_;)

息子の入院中、私の風邪は一向に良くならず、解熱剤で熱を下げて付き添っていました。
風邪薬がもうなくなってしまったので、4日には息子の病院の内科を受診。
咳・鼻・去痰薬・解熱鎮痛剤を処方してもらいましたが、咳はひどくなる一方で、
ついには声も枯れて出なくなってしまいました。

息子の退院後は、母が買い物などをして頻繁に訪ねて来てくれたので、
私は息子の世話をしつつ、ゆっくり過ごすことができました。
ひどい咳は続いていましたが、風邪症状も少しずつ落ち着いてきていたので、
7月8日には、動物病院に預けていたリキを迎えに行きました。
息子もリキも戻ってきて、あとは私の風邪を治すだけ。
以前と同じ日常が戻ってくるはずでした。


7月10日(発症)。

朝から左胸の下にひどい痛みがありました。
数年前に咳のし過ぎで肋骨にヒビが入ったことがあり、当時を思い出す痛み。
また咳で肋骨を痛めたか・・・と思いました。
と同時に、なんとなく両手にじんじんするような痺れがありました。
膝の脱力と目の異常(光が眩しく感じ、酔っぱらっているような、度の合わない
眼鏡をかけているような、焦点の合わない感じ)もありました。
とにかく胸の痛みがキツかったので、近所の内科を受診。
咳止めと去痰薬、胸の貼り薬を処方してもらいました。

内科でも薬局でも痺れはさらっと流されてしまいましたが、14年前のギランバレー症候群
(実際はフィッシャー症候群でしたが)を彷彿させるものがあり、不安が残りました。
一日様子を見て、明日には痺れも目の異常も治まっていますように・・・と願いましたが、
それは叶いませんでした。
この日既に、フィッシャー症候群は発症していたようです。


ミラーフィッシャー症候群 - 2017.11.07 Tue

7月に、「ミラーフィッシャー症候群(フィッシャー症候群)」という病気になりました。
自分の免疫が自分の体を攻撃してしまう免疫性神経疾患で、
上気道系感染(インフルエンザや熱性の風邪など)後に発症することが多く、
「外眼筋麻痺」「運動失調」「腱反射消失」の3つの症状が特徴的な病気です。
・・・素人には言葉が難し過ぎます。
平たく言うと、「目の動きが悪くなる」「体のバランスを保てない」
「体がうまく動かない」という感じでしょうか。。

私は最初、「物が二重に見える、手足の痺れ、ふらつき」という症状が出て、
その2日後には寝たきり状態になっていました。
急速に体の自由がきかなくなる病気に「ギランバレー症候群」がありますが、
発症する経緯や症状、検査の所見?などに共通する特徴があるため、
フィッシャー症候群はギランバレー症候群の亜型と考えられているそうです。

フィッシャー症候群は10万人あたりの年間発症率が0.5人ととても珍しい病気ですが、
私は今回、2回目の発症となりました。
1回目は14年前で、診断書などはギランバレー症候群の扱いでしたが、
最終診断はフィッシャー症候群だったので、今回と同じ病気です。
(前回の病気についての記事はこちら →

再発はほとんどないため、もう二度とかかることはないと思っていたフィッシャー症候群。
前回と同じ症状が出たときはショックだったし、信じたくありませんでした。
診断がほぼ確定して目が使えるようになってからは、ネットで病気について調べてみましたが、
病気の概要は出てくるものの、闘病記や体験談などはあまり見つけられませんでした。

ただでさえ知名度の低い病気なので、2回もかかった私の経験は誰かの役に立つかも?
自分自身の備忘録にもなるので、発症から治療、その後の経過まで詳しく書こうと思います。
医療関係のことには全く詳しくないので、間違った理解や記述もあるかもしれませんが、
興味のある方は「一患者の経験談」として読んでいただければと思います。


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プロフィール

りきぞー

Author:りきぞー
2019年に16歳で旅立った柴犬リキの思い出と、2024年に迎えたシェルティ蘭丸の日常の出来事についてゆる~く更新していきます。2015年生まれの長男、実家のガングロ猫のナナコも時々登場。

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